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SING BIRDS ミルカと美しい布たち
December 13, 2016
本日は主催のsezuan antiquesさんから展示への想いや経緯を文章にして頂きました。

「一介の古物屋である僕がなぜアート作品の展示をするのか?
世の中面白いものやこと、アメイジングがいっぱいあります。
音楽、絵画、小説、映画、ダンス、写真、その他あんなことやこんなことまで・・・ワクワクさせてくれるもの、驚きを与えてくれるもの、新しい発見をさせてくれるもの、全てひっくるめて僕は「アート」と呼んでいます。逆に言うと「アート」があってその中に骨董や絵画という細分化されたジャンルがあるのです。
ところがこれまでの経験では面白いものならなんでもジャンルにこだわらず見てくれる人は嬉しいことに確実にいるにはいるのですが、どちらかというと少数派であることに気付かされています。
例えば去年森岡書店茅場町店での展示の時は、古いもののほかに現代作家の油絵と、写真、写真集も並べたのですが、古いものを見る人は写真を見ず、写真を見に来る方は古いものをあまり見られません。また会場柄森岡書店の扱う写真集を見に来る人は僕の展示は見られない。
今年NYで開催したtatamiの展示のときも、古いもの、骨董で空間を作るという展示だったのですが、骨董として見に来る人は1点1点説明を聞きながらじっくり見る、空間全体、つまりアートとして見る人は説明なしに、全体を感じるように見る、という違いがありました。
いやもちろん何を見て何を見ないかはワシの勝手じゃ!というご意見はごもっともなんですが、こちらとしては同列に展示しているつもりなのに見てもらえないものがあるということは見せ方に問題があるのではないか、と感じているところです。
またよく言われることにアート作品はなかなか売れないという一方、骨董市等では老若男女問わず古いものがよく売り買いされていますし、○○蚤の市なんてフェア形式のイベントは入場制限するほど人が押し寄せます。生活工芸と呼ばれる使える器などはブームらしいし、手作り市も連日大賑わいです。
僕に言わせれば同じくらい面白いものなのに売れるジャンルと売れないジャンルがあるというのはなんとも不思議。
もちろん骨董とアート作品の受容のされ方の差異を分析することも出来るのですが、それはそれとして、面白いものは面白い!と単純に楽しんでもらいたい、その為には!?という試行錯誤の一つとして今回の試みがあるのです。
アート作品からミルカさんのドローイングを、古いものからは擦り切れた布を。この取り合わせの意味は?と問われたらそれは直感、です。
ミルカさんの作品は写実的な鳥とミニマムな音符のパターンが一つの画面の中に存在して静謐でいてダイナミックな調和を醸し出しています。使い古された布は織物としてのミニマムなパターンの上に使用によって生じた擦り切れや繕いやシミがランダムで思いもかけぬ表情を与え、まさにこの世に1点しかない存在となっています。
強いていえばそのような共通点、具象と抽象、パターンの上に大胆に現れる別の表層、を見出すこともできますが、何かこのミルカの鳥と布の繕いやシミが共に音の無いさえずりを唄っているような、そして互いに呼び合って響き合っているような感じを受けたのです。
こうして全く別のジャンル、別のものとして生まれたものが出会う展示として、アートと古いものを同じ感性で受け止めてもらえたら、そして買っていただけたらというのが今回の僕の願いであり狙いであります。」
文章:sezuan antiques
画像:出品物 ポジャギ